恋をする?
突然のオペラ楽曲で恐縮です。
つい先日新国立劇場にて観たタンホイザーより。このアリア(独唱曲)は、タンホイザーが快楽の女神ヴェーヌスの住むヴェーヌスベルクで快楽に入り浸っているなかでタンホイザーが歌う1曲です。
タンホイザーは劇中で清き愛と快楽の狭間で揺れ動きます。
まさに!とまでは言いませんが、いまのぼくは比較的そんな状態にあるのかもしれません。。
恋をする?
一瞬快楽に溺れそうになりつつも、やはり恋をしたいなあと思っている今日このごろ。
ただ、この「恋をする」という感情、ぼくはつい数年前まで自分には存在しない感情だと思っていた。
幼少期からドラマやマンガなどを通して自然と男女の恋愛模様には触れていたなかで、なんとなく「恋」のイメージは持っていたのかもしれない。ただ、そのイメージが自分のこころのなかで具現化することは長らくなかった。
女性と付き合う?
小学校高学年ごろまでは男女問わず人間に対して、仲のいい友達、居心地のいい友達という感情を超えるものを感じたことはなかった。
中学生時代になると数回女性と「付き合う」という状態になっていたことがあった。ただ、ぼくの感情は友達であったときとなんら変化はなく、相手からのスキンシップに対しては「気味が悪い」ぐらいに感じてしまっていた。もちろんそんな付き合いは長くは続くはずもなく、高校生になってからは女性と付き合うということ自体がなくなった。
憧れ? ファン心理?
中学生時代には、男性に対して心ときめくようなドキドキする感情を抱いたことが何回かあった。当時、というより数年前までこれは憧れやファン心理の一種なんだと勝手に思い込んでいたが、いま思えばこれが「恋」に近い感情だったのかもしれない。
思い当たる一番古い記憶は、某遊園地の乗り物のスタッフのお兄さん。家族で遊びに行ったときにたまたま写真を一緒に撮ってもらっただけだったけれど、帰ってきて数週間はその写真に写ったお兄さんを見つめてドキドキしながら「自分もあの遊園地のスタッフになる!」と言っていたことをよく覚えている。
入れ込んでいた有名人も何人かいた。冬のソナタに出ていた某韓流俳優さん、サッカーの日韓ワールドカップで活躍した某選手、某歌のお兄さんなどなど。いま自分で振り返ると「同性愛の自覚なしとはこれいかに」と感じるほどに、思い出すのは全部男性だ。
学校内でもドキドキがあった。バレー部の先輩の隠れファンだったのだ。本当に遠くから見ていただけだったけれど。そのときのバレー部の最上級生は2人しかおらず、そのうち1人は女子から絶大な支持を得ていたいわゆるチャラ男であったが、ぼくはもう1人の地味な先輩の方のファンだった。その人は、特に背が高いわけでもなく、どこか野暮ったいようなぽっちゃりさんであったため、女子は見向きもしていなかった。いま思えば一部ゲイからは支持されそうな雰囲気を持っていた人だったのかもしれない。
初恋? そして確信へ
高校生時代、いま振り返るとこれが初恋だったんじゃ?と思える出来事があった。
さらに、その後数年の沈黙を経て起きた出来事が、自分にも「恋をする」という感情が存在することを気づかせてくれた。
この大事な2つの出来事については、、、
次回につづく(え
出会い?
僕は2019年1月になってから自らの性的指向を認めて新たな一歩を踏み出したわけだが、この1ヶ月ただ心境が変わっただけだったかというとそうでもなく、手さぐり状態のなかで行動にも出た1ヶ月だった。
といってもその行動は全てゲイアプリ頼りの行動なわけだが笑。
ゲイと自認してまずやりたかったことは、「同じ境遇の人と30年弱抱えていた自らのゲイゲイしい思いを共有したい!」だった。
これまで一度も他人には話したことのない話だけど、ゲイ同士なら絶対に赤裸々に話せる。
ただ、突然ゲイバーに行ったりサークルに参加したりなんていう勇気はさすがに湧かず。
そんなウブなゲイの手元にはすでにゲイアプリがインストールされているスマホ。実はゲイであることを自認する前から、なんとなく同じ境遇の人たちが周りにいることを確認したくてこっそり入れていた(もはやどこからが自認なんだお前という話だが笑)。
そこからは完全にアプリ中毒に。「これって誰もが通る道だよね?」と自分に言い聞かせつつ好奇心に任せ次々とメッセージをやりとり。
そしてすぐに初リアルにこぎつけた。年齢の近い方とのランチ。生まれてはじめて自分の性的指向を他人に正直に話した。
これまで溜まっていたものを吐きだしたような「スッキリ感」はなかった。
もしかしたら、自らの性的指向を自認したと宣言するよりはるか前から心の底ではとっくに自認できており、それをいまさら口に出すことには大して新鮮味はなく、当たり前のことを当たり前のごとく話している感覚にしかならなかったのかもしれない。
2人目のリアル。年上の方と飲みに。ゲイ生活の先輩の意見に耳を傾けているなかで「体の関係と割り切って楽しむことも若いうちに少しは経験しておいても損はないかもね」なんて助言(?)を受けた。
この言葉はぼくの好奇心を完全にくすぐってしまい、その後3人目、4人目のリアルは自己紹介もなく会った瞬間ヤってさよならなんていうことに。
さすがにむなしい感覚になり「やっぱり恋愛とxxはセットだよね」と思い直し。そんなことを考えていたら、人恋しい感覚、恋愛したい欲がどんどん強まっていった。
ただ、女性との恋愛(と呼べるのか甚だ疑問だが)も何年もご無沙汰なうえにゲイ恋愛市場へは参戦直後。いまさら中学生みたいに「恋愛ってなんだろう。どんなステキな出会いが待ってるだろう。」なんて純粋でアホなことを考えてる不慣れなおっさんはどうしたらいいんだろう。
しかもアプリの出会いは唐突。これまで通りの人生を送っていたら絶対に出会わないコミュニティの人と突然会う。
とりあえず出身地、居住地、仕事、趣味、ゲイに目覚めたきっかけ、ゲイ生活歴などをひととおり話すのが初回。
ただ、2回目に会う理由をみつけるのがすごく難しい。もう2度とその人と関わらなくても自らの人生にマイナスはないと思ってしまい、結局理由をみつける努力をする前に次へ進んでしまう。
「もう1度会う理由」なんて考えずとも会いたくなる人を探せということなのかもしれないが、数打ちゃ当たるってもんでもないのか。。
そうこう言いつつ、1月にリアルした回数はなんと15回!自分でも驚愕する回数。行動しだすと止まらない性格が自分でも怖い。
うち2回会った人が2人いるので人数としては13人。
内訳は
ご飯だけ 7回
ご飯+xx 2回
デート+xx 1回
xxだけ 5回
デートにも出かけるところにこぎつけたことが1回だけあった。
その人とは初回は飲みに行ったあとxx。そして2回目がデート。xxもしたけど。恋に落ちたという感覚はなかった(一目惚れなんて信じている痛いおっさんと化している)けれど、デート自体楽しかったし、向こうからのスキンシップも非常に多かった。
セフレってこんなに仲良くするもんなのか?そんなことない?向こうも長い付き合いを求めてるのか?などいろいろ考えながら、LINEで「また会いたい」とか、告白まがいのような文章を送ったり。積極的にアピールしてみた。(不器用すぎて書いてて悲しくなる笑)
向こうの反応は悪くはなかったけれど、こちらのアピールに対して基本受け身。そこが自分のなかで引っかかるようになり、「恋愛は駆け引きよ!っておっさんずラブの蝶子さんも言ってたなぁ」とか思いつつ一旦こちらからのLINEの送信を絶ってみたら、その後相手からLINEが来ることは二度となかった。
やっぱりアプリで恋愛は無理!(それ以前の問題
孤独はえらい?
自分がほかの人と違う感覚を持っているということは、小学校低学年の頃から薄々感じていたんだとは思う。
それは誰とも共有できないことなんだ、してはいけないことなんだ、ということも無意識に感じていたのかもしれない。
この「人と違う」という感覚を拒絶せず自己肯定できるように、いつしか「人と違う方が優れている」と自分へ言い聞かせるようになった。
男友達が少なく女友達とよくつるんでいたこと、ときにオカマと馬鹿にされたこと、好きな女性タレントがすぐ思いつかない一方で好きな男性タレントは即答できたこと、女子と付き合っても友達だったころと比較して自分の感情になんら変化がなかったこと、男の先輩のファンだったこと、、、
こと性的指向に関して「人と違う」と実感していた場面は思い返せばキリがないが、違うということをむしろいいことであると捉えることで自我を保っていた。
よく言えば、没個性を求められがちな義務教育期間にあって「個性」というものをプラスに捉えられる感覚を持てていたということなのかもしれない。
ただ、この「人と違うほうが優れている」という感覚は次第に自らに完全に染み付き、やがて性的指向など何も関係ない部分に関しても「人と違って〇〇な自分はえらい」という感覚が僕を支配するようになっていった。
この暴走しつつある感覚は、大学受験のときには大いに役にたったように思う。
いわゆる進学校ではない高校に通っていた僕は、周りの友人たちが休み時間や放課後に遊んでいるなかでひとり勉強に打ち込んでいる自分に完全に酔っていた。
みんなと違う。この感覚は自らを奮い立たせた。結果的に目指していた医学部進学を果たした。
しかしながら、この意識は年を経るごとに「人に合わせることなど考えず、自分のやりたいことさえ達成できればよい」という方向に変わっていったように思う。
気付けば自分のやりたいことはなんでもひとりで自己流にこなすような生き方になっていた。
土日の近場のレジャーは前日か当日に思いつきで実行するためひとり、高級レストランでの食事や海外旅行での豪遊といった贅沢もひとり。
誰かと共有することもなく全て自己完結して満足してしまうところまできていた。
さらに仕事においても、未来を見据えたキャリア形成を周囲の友人たちがすすめていくなかで、僕は自らがやりたいことがやりたいように適度にできる環境であればキャリアなど追求しないと考えて、自己流の未来像を勝手に作り上げて満足していた。
僕は、自らの幸福度は非常に高いと自負していた。ただ、この幸福のなかには常に「自分」しかいなかった。
人と違うことを求める感覚が、結果的に人との関わり合いを一切求めない独り善がりな自分を肯定し続けることにつながってしまった。
人と関わらなければ自らの性的指向とも向き合う必要はない。それでいいんだ。それが自分の生き方なんだ。そう確信していた。
ただ、ふと冷静に考えたとき、その確信の根拠は何もないことに気がつく。
むしろ、人との関わり合いにより得られることや性的指向と向き合うことで得られることを無意味に放棄しているだけなのではないか。
15年前に気付くべきだったことに、ようやくたどり着けた気がした。
インフルエンザの治癒証明?
突然全くゲイとは関係のない話ですが笑
いま巷ではインフルエンザが大流行中であることは周知の事実かと思います。
特にここ半月は内科外来で診察をしていると必ず数人はインフルエンザと診断される患者さんがいらっしゃるような状況です。
そんななか、ときおり「インフルエンザの治癒証明書が欲しい」とのことで来院される患者さんがいらっしゃいます。
「はて、インフルエンザの治癒を証明ってなにをしたらいいの? 」というのが内科医の率直な気持ちです。
なにをもって「治癒」とするのか。
基本的にこういった証明書の提出を求めるのは勤務先ですから、他人へ伝染する可能性がないことを証明してほしいというのが真意なのでしょうか。
であれば、学校保健安全法を参考にするのが正解なのでしょうか。
出席停止の期間:
発症した後5日を経過し、かつ解熱後2日(幼児にあっては3日)を経過するまで
学校保健安全法施行規則第18条より
ただ、この通りに「治癒」を証明するに際して、正直なところ医師の役目はほぼないに等しいです。
診断時に発症時期はある程度特定できていますし、解熱後の期間は患者さんご本人が確認/判断できます。
そうなったときに、医師として「治癒」を判断できる根拠がほかにあるか。
インフルエンザ自体ごく一部の重症化/合併症発症例を除き基本的には一般的な風邪/感冒の延長と捉えて問題ない病気であることから、特に持病のないような患者さんにおいては自己の免疫が時間をかけて改善へ導いてくれると考えて問題ありません。すなわち、その過程のどこのタイミングを治癒とするか議論する意味合いはほぼありません。
また、インフルエンザの診断時に使用される迅速診断キットはウイルス量をある程度反映しますが、これが再検査で陰性化することの意義については議論されておらず(というより議論する必要がないということなのですが)、再検査をすることは治癒の根拠にはなり得ません。
結局「治癒証明ってなんだろう?」ということなのです。。
実際、厚生労働省からも下記のような文言が出ています。
Q. インフルエンザにり患した従業員が復帰する際に、職場には治癒証明書や陰性証明書を提出させる必要がありますか?
A. 診断や治癒の判断は、診察に当たった医師が身体症状や検査結果等を総合して医学的知見に基づいて行うものです。インフルエンザの陰性を証明することが一般的に困難であることや、患者の治療にあたる医療機関に過剰な負担をかける可能性があることから、職場が従業員に対して、治癒証明書や陰性証明書の提出を求めることは 望ましくありません。
厚生労働省 平成30年度インフルエンザQ&Aより
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou01/qa.html
ただ、この忠告は勤務先側に理解していただかなくてはならない内容です。
治癒証明書を求めて目の前にいらしている患者さんは、あくまでも勤務先からの指示に従っているだけ。「そんなもの意味がないから出せませんよ!さようなら!」とその場で言ったところで患者さんを困惑させてしまうだけです。
いまのところ僕は、ここで書いたような内容を平易にお伝えしながら、学校保健安全法を参考に伝染リスクが非常に低い旨を診断書へ記載しお渡しするという対応をしています。
しかしながら、医療費抑制の観点からも治癒証明書が不要であることがより周知されていかなくてはならないと考えます。
カミングアウト?
前回の記事で書いたように、僕は今年に入ってからようやく自らがゲイであることを受け入れたわけだが、はやくもカミングアウトについて色々と考えを巡らせてしまっている。
僕は基本的に話し好きなうえに隠しごとをすることも性に合わず、家族や友達だけでなく仕事の同僚などにもあえて普段の生活の中身を隠すことはせず、あけっぴろげにネタにして話してしまうのが常だった。
性的指向を完全に隠してた身で何を言ってるんだという話ではあるけれど、いままで自分のなかで性的指向には向き合っていなかったのであえて話そうと思うような〝そっち〟のネタもなく、恋愛の話題のときには「ひとりで生きてて幸せですからー」とかウソではない適当なことを言いつつ流してきていたわけだ。
ただ、今年に入って改めて自らの性的指向と向き合うようになった途端、これを誰かに話したいという気持ちが自然と湧いてきてしまった。ちょっと酔ったら同僚との飲みの席でポロっとネタにしてしまいそうな自分がいる。
正直自分のなかでは「まわりに知られたくない!」という思いは薄いのかもしれない。むしろ自然と知られてしまったほうがいいのではとすら思うこともある。
ただ、ネット記事やツイッターなど各所でのカミングアウトについての言説に目を通すと、カミングアウトは一方通行ではなく相手の理解を求める行為であり、相手の気持ちに負担をかける可能性、自分でも予想しないような差別やアウティングが起きる可能性などは無視できず、やはり突発的なカミングアウトには慎重にならなくては、とも思う。
カミングアウトしたらその相手との会話はさらに無限に広がるかも。いや、やっぱり「気持ち悪い」と思われてその人との関係性は終わりになってしまうか。
深く考えるべきか否か。
僕の性格を考えると、やはり近いうちに誰かにカミングアウトしてしまっている予感はする。
2019年 第一歩
「僕はゲイだ。」
こうして堂々と宣言するようになってから、まだ14日しか経っていない。
といっても、宣言しているのは公の場でも同僚の前でも友達の前でも家族の前でもなく、自分自身のなかでだけなのだけど。
これまで30年弱の人生を歩んできたけれど、自らの性的指向について全く真面目に向き合ってこなかった。
ふりかえれば幼少期から女子とばかり遊んでいたし、思春期ごろには男性に片思いをしていたし、オカズはほぼゲイポルノだし、女性経験もほぼないに等しいし。ふりかえればふりかえるほどにゲイゲイしい人生だ。
でも、こんな状況にありながら、自分が〝ゲイ〟であり男性に恋をしたいと思う人間なんだということを認めずに生きてきた。
昨年の年末、「20代もそろそろ終盤だなー」と意識しながら、何気なく改めて〝ゲイ〟であることを認めず生涯を終えていくことに何か意味があるのかをふと考える機会があった。
その時、むしろこれを認めることで起こるかもしれない何かへのワクワクを感じた気がした。
僕は好奇心旺盛だ。ワクワクを感じたものに対してはなりふり構わず突き進むクセがある。
「いまさらながら自分をゲイと認めたらなにが起こるんだろう」
ワクワクが止まらなくなった。
そして2019年元日、僕は自らに対してゲイ宣言を果たした。
といってもまだ宣言しただけですが笑
正直どうしてここまで突発的な決意に至ったのかは、自分でもまだよくわからないので、このブログで自己分析のために過去のできごとをふりかえったり、さらに何気ない日常にも触れたりできるといいなと思っています。
文章下手なのでその練習もかねて←